東日本大震災三・四日目

三日目…3月13日(日)
この日は、朝から食料調達の買い出しのため、近所のスーパーに向かった。
菅総理が、原発が稼働していないので計画停電を実施予定という話をしたため、ガスコンロ用のガスボンベも買おうとしたが既に売り切れていた。ただ、食料品はまだまだあったので、一週間分を購入した。
しかし、スーパーに来るお客さんの殺気が凄く伝わってきて、何だかちょっとパニック寸前という感じで怖かった。
その後は、息子と遊んだり、妹が犬二匹と一緒に泊まりにきたので、その対応をしていた。
息子もそれなりにこの災害に思うことがあるようで、親が深刻そうに話していると遮るように話しかけてきたり、何かとちょっかいを出してくる。
やはり、不安な気持ちをそういう形で現しているのだろうと思う。
その日は、息子と親父の三人で風呂に入った後、夕飯を食べ、そのまま就寝。

四日目…3月14日(月)
この日は、ついに計画停電を実行するといわれ、電車の運行状況を考えると、自転車通勤するしかないと思い定めた。
そして、昼飯も手に入らないことを想定し、お握りとお茶も家で用意した。
足立区にある自宅から新宿まで自転車で行くのは、高校生以来なので一抹の不安を覚えたけれど、大体一時間半程度掛かると考え、9時の出勤時間を目標として朝7時半自宅を出た。
ルートは、環七通りから鹿浜橋を渡り、明治通りを南下することにした。余り自転車で行かない場所であるため迷わず行けそうななことと、大通りならいざ余震があった場合に避難場所が見つけやすいことが主な理由だ。
また、環七通りもかなり混雑すると予想し、鹿浜橋直前までは環七ギリギリ外側を走る作戦にでた。その結果、さほど混まずに鹿浜橋へ到着して、荒川を越えられた。
鹿浜橋を渡り終えた後、地図の確認と飲み物補給のため、近くのセブンイレブンへ寄った。
その時点で午前8時半を過ぎていたため、携帯で職場に電話し、一時間程度遅れる旨を伝えた。
その後は、明治通りをせっせと進み、飛鳥台公園の前を通りながら、池袋へ向かった。
この日は、同じように自転車通勤をする人が多く、特に池袋へ向かうところからが増えてきた。結構混雑するも、何となく嬉しかった。
また、この区間はアップダウンが多く、苦労させられた(帰りはもっと)。
そうこうしている間に、池袋に到着。しかし、まだ新宿まであるので、気を緩めず自転車を漕ぎ続ける。
しかし、池袋からはそんなに掛からず新宿に着くも、職場まで迷う。何度か方角と地図を確認しながら、ようやく職場に辿り着くも到着時間は、午前9時半。2時間掛かった計算だ。
職場に入って皆に挨拶しながら、足と尻が痛いのに気づく。久しぶりの自転車での遠出だったので、体が痛くなるのは当然だ。
なお、職場では殆ど仕事にならず、しかも計画停電で信号や道路照明が消えると聞いて、少し早めに帰してもらった。
帰りは、行きの疲れのせいで、スピードが上がらずダレながらの帰還であったが、何とか2時間で自宅に着いた。まぁ、帰りは迷わなかったことが大きいと思う。
その後は、夕飯を食べ、息子と風呂に入って、そのまま就寝。
何とも疲れた一日であった。