三連休ではあったが…

 いわき市に住む嫁の親戚(80歳の義祖母といとこら6人の計7人)が、今回の震災と津波で自宅が崩壊したため、東京の親戚の元へ避難してきた。
 16日に来たので、もう5日経っている。ただ、彼らの生活復建はこれからだ。
 16日は嫁だけで、17日は嫁と私が一日有休を取得し、今後の生活を彼らと話し合った。
 彼らは、今回の災害で肉体的にも精神的にもかなりのショックを受けていながらも、明るく振る舞っていた。義祖母以外は、20代前半のいとこばかりだからかもしれないが。
 そして、彼らの親戚で千葉県に空きマンションを持つ方が見つかり、どんな物件なのかを見に行くことに。
 千葉県への移動中、彼らの体験や写真を聞かせて&見させてもらったがやはり想像を絶しており、特に津波は自宅や会社、友達関係をも流してしまった。
 何て声をかけていいのか分からず、頷くことしかできない自分が情けない。
 そうこうする内に千葉県に到着し、親戚と駅で待ち合わせて、空きマンションを見に行った。
 そのマンションは7人が住んでも問題なさそうな広さで、駅からも近くスーパーからも近く、物件として良さそうであった。また、初めて会う親戚にもかかわらず、かなり親しみがわく感じがしてとても親近感を覚える方々だった。
 この物件であれば当面大丈夫と彼らも判断したようで、引越しすることを決めていた。
 引越当日は、三連休初日の土曜日の19日。
 息子も癒し担当として連れて行き、義祖母やいとこたちの笑顔を引き出す対応をお願いした。
 しかし、引越前に親戚の方々が掃除をやっていてくれて、ほとんど手伝うことがなかった。不足している家財道具など、スーパーへの買い出しを一緒に行ったぐらい。
 その際に、義祖母の服や老眼鏡、靴、足が悪いので使用していた杖など、全て津波で流されてしまったのでそれらを買い足すときに、義祖母からはお話をいろいろ聞かせてもらった。
 翌日20日は、自宅にある使用しなくなったTVをマンションに持って行き、地デジにも接続できたので、とりあえずホッとした。また、彼らが始めてよく寝れたと言っていたので、それが一番安心した。息子がかなり眠そうだったので、その日はそれだけで帰宅した。
 今日21日は、彼らとは嫁を通じて話を聞くだけだったが、いとこの内1名がいわき市の職場で復旧作業に携わるということで車で戻り、先ほどいわき市に着いたと連絡があった。
 これからもどうなるか分からないが、できるだけのことは支援していくつもりだ。特に、高齢の義祖母のことが不安でならない。東京へは一日二日いるだけで、いわき市に帰ると言っていた。今まで80歳になるまで、ずっといわき市に住み暮らしていたのだから、そこで生き死にたいというのは当然の感情なのだろうと思う。
 また、来週、義祖母の顔を見に行こうと考えている。